林紀幸さんからの手紙 [宇宙]
宇宙関連巡礼の旅 - Weblog版 -さんのところより
拡散希望なお話があったので転載させてもらいます
転載元リンク
http://launch310.blog63.fc2.com/blog-entry-162.html
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元・宇宙科学研究所の技官であった林紀幸さんから以下のような文章を頂いた。
Blogなど持っているなら掲載して欲しい、と。
以下、そのまま掲載します。いただいたのは一太郎のファイルでしたのでコピペしてますが、文章はそのままです。
▼以下掲載▼
東映映画 「遙かなる帰還」 を見て
人工惑星「はやぶさ」は何だったのだろう・・・ 全く同じ題材で三つの映画会社が競作すること自体今まで聞いた事もないような気がする・・・そして2012年2月5日朝日新聞の「天声人語」に曰く・・
・・・ 東映製作の「遙かなる帰還」に感慨を新たにしたとある・・・
朝日新聞が協賛しているのは理解できるが・・この変貌ぶりは何なのだろう・・
糸川英夫先生の批判から辞任まで朝日新聞の一連のキャンペ-ンは・・東京大学という内部・糸川研究室に居た私たちにとって・・言語に絶する問題であったように思う・・
当時私も含め糸川研究室に在籍していた面々は「そのことについて」一度も議論したことがない・・・普通・糸川先生が居なくなればいろいろ不安材料が出てくる・・しかし今にして思えば・・一度も不安に思ったことが無かったように思える・・そのようなことを口にする人もいなかった・・・
・・・当時トップにいた先生方たちからも何の説明もなかった・・
突然糸川英夫先生が消えた・・宇宙研から・・ただそれだけのこと・・・
今にして思えば・・当時の東京大学宇宙航空研究所の組織は糸川英夫先生が考えたレールにすでに乗って走り始めていたのである・・・一つお断りしておくが・この文章に「思う」・「思えば」とか抽象的表現が多いのは私林紀幸の個人的思考からこの文章を書いているのであって・・・まさに「今思えば」であるから・・
その後宇宙研の発展は歴史が認めることであり・・あの朝日新聞ですら・・事実を・・正確に伝える「術」を理解したのである・・「人」は百人居れば百通りの考えがある・・
でも世界には「進むべき」道を創る人たちが居る・・・
糸川先生が居なくなってから私は宇宙研に30年以上勤務したことになる・・そして曲がりなりにも無事に定年退官を迎え今に至っているが・・あのような心地良い空間は何だったのだろう・・実は私のわがままや・言動にじっと耐え続けた人たちのおかげだったのではないか?・・・「ロケットまつり」の松浦さん・笹本さん・浅利さんはそれはそうですよと・即座に笑顔で答えるように思う・・今はそのような私に対するすべての批判もさらりと受け流すことが出来るが・・・当時の人たちは批判すらすることの出来ないほど「ピリピリ」の状態だったのだろう・・
・・・もしかすると唯一ある糸川先生との共通点ではないか?・・・
何か趣旨が外れてしまったようだ・・私は2012年2月3日東映映画「遙かなる帰還」を見て思わず暗い映画であると思った・・・映像自体も暗めだが・・内容も暗い・・
私の在職した宇宙研は・・何はなくとも明るさだけはあった・・実験に失敗しても苦虫噛みつぶした顔をしている人はほとんど居なかった・・なぜ・・それは常に前向きだったから・・主人公は常に眉間にしわをよせ・・女性の新聞記者は離婚の子連れ・・その父親の会社は経営不振・・娘が離婚したことも知らない・・どこにこの「はやぶさ」の目的を見据えようとしたのか?理解に苦しむ・・特に内之浦の飛翔の場面・・現場に居た父親を見つけても声をかけない娘・・物語にしたかった監督の気持ちは解るが・・人々を元気にするコンセプトはどこに行ったのか?・・
多分映画としての出来映えは私などがとやかく言えることではないが・・こんな暗い世の中で苦難を乗り越え帰還した「はやぶさ」を光らせたいばかりに・・物語を暗くして・最後をヒューマンに仕立てたかったか?・・でも・・この設定はある意味失敗・・
42年間宇宙開発の人たちと進んできた道ははこんなに暗い社会ではない・・・
ロケット開発苦節57年?・・・常に新しいこころみは失敗に見回れ・・それを乗り越える喜びと・・それに反する苦しみも十分味わされてきた・・しかし誰れ言うともなく誰一人仲間を批判することもなくこの年月を過ごせたことは・ロケット開発にとって賞賛されるべきである・・・
常に前向きに・・常に明るく・・常に新しい物を求める精神こそ大切なことである・・
私は「失敗は挫折ではない」と思う・・もしかするとチャレンジしている人たちの勲章かも知れない・・・たとえ今・つまずいても来るべき未来には必ず必要になるスッテプかも知れない・・今はそう信じて進むべき道を見いだすべく・・・
宇宙科学研究所は今世界から「世界一の研究所」と言われている・・・何故・・・
それは日本に「糸川英夫」という人が居たからだ・・・本年は糸川先生生誕百年・・・そして糸川先生の求めたものは「戦中を生きた」人たちだけに理解できる・・科学を通じて自由とともに明るい社会で生活していける毎日だったのではないか?
・・・今にして思うに想像にするだけであるが・・・
2012・2・8
林 紀 幸
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映像的にこだわっているのはわかるのですが
事実を知っている人が映像を見ると差異が気になってしまいますね
拡散希望なお話があったので転載させてもらいます
転載元リンク
http://launch310.blog63.fc2.com/blog-entry-162.html
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元・宇宙科学研究所の技官であった林紀幸さんから以下のような文章を頂いた。
Blogなど持っているなら掲載して欲しい、と。
以下、そのまま掲載します。いただいたのは一太郎のファイルでしたのでコピペしてますが、文章はそのままです。
▼以下掲載▼
東映映画 「遙かなる帰還」 を見て
人工惑星「はやぶさ」は何だったのだろう・・・ 全く同じ題材で三つの映画会社が競作すること自体今まで聞いた事もないような気がする・・・そして2012年2月5日朝日新聞の「天声人語」に曰く・・
・・・ 東映製作の「遙かなる帰還」に感慨を新たにしたとある・・・
朝日新聞が協賛しているのは理解できるが・・この変貌ぶりは何なのだろう・・
糸川英夫先生の批判から辞任まで朝日新聞の一連のキャンペ-ンは・・東京大学という内部・糸川研究室に居た私たちにとって・・言語に絶する問題であったように思う・・
当時私も含め糸川研究室に在籍していた面々は「そのことについて」一度も議論したことがない・・・普通・糸川先生が居なくなればいろいろ不安材料が出てくる・・しかし今にして思えば・・一度も不安に思ったことが無かったように思える・・そのようなことを口にする人もいなかった・・・
・・・当時トップにいた先生方たちからも何の説明もなかった・・
突然糸川英夫先生が消えた・・宇宙研から・・ただそれだけのこと・・・
今にして思えば・・当時の東京大学宇宙航空研究所の組織は糸川英夫先生が考えたレールにすでに乗って走り始めていたのである・・・一つお断りしておくが・この文章に「思う」・「思えば」とか抽象的表現が多いのは私林紀幸の個人的思考からこの文章を書いているのであって・・・まさに「今思えば」であるから・・
その後宇宙研の発展は歴史が認めることであり・・あの朝日新聞ですら・・事実を・・正確に伝える「術」を理解したのである・・「人」は百人居れば百通りの考えがある・・
でも世界には「進むべき」道を創る人たちが居る・・・
糸川先生が居なくなってから私は宇宙研に30年以上勤務したことになる・・そして曲がりなりにも無事に定年退官を迎え今に至っているが・・あのような心地良い空間は何だったのだろう・・実は私のわがままや・言動にじっと耐え続けた人たちのおかげだったのではないか?・・・「ロケットまつり」の松浦さん・笹本さん・浅利さんはそれはそうですよと・即座に笑顔で答えるように思う・・今はそのような私に対するすべての批判もさらりと受け流すことが出来るが・・・当時の人たちは批判すらすることの出来ないほど「ピリピリ」の状態だったのだろう・・
・・・もしかすると唯一ある糸川先生との共通点ではないか?・・・
何か趣旨が外れてしまったようだ・・私は2012年2月3日東映映画「遙かなる帰還」を見て思わず暗い映画であると思った・・・映像自体も暗めだが・・内容も暗い・・
私の在職した宇宙研は・・何はなくとも明るさだけはあった・・実験に失敗しても苦虫噛みつぶした顔をしている人はほとんど居なかった・・なぜ・・それは常に前向きだったから・・主人公は常に眉間にしわをよせ・・女性の新聞記者は離婚の子連れ・・その父親の会社は経営不振・・娘が離婚したことも知らない・・どこにこの「はやぶさ」の目的を見据えようとしたのか?理解に苦しむ・・特に内之浦の飛翔の場面・・現場に居た父親を見つけても声をかけない娘・・物語にしたかった監督の気持ちは解るが・・人々を元気にするコンセプトはどこに行ったのか?・・
多分映画としての出来映えは私などがとやかく言えることではないが・・こんな暗い世の中で苦難を乗り越え帰還した「はやぶさ」を光らせたいばかりに・・物語を暗くして・最後をヒューマンに仕立てたかったか?・・でも・・この設定はある意味失敗・・
42年間宇宙開発の人たちと進んできた道ははこんなに暗い社会ではない・・・
ロケット開発苦節57年?・・・常に新しいこころみは失敗に見回れ・・それを乗り越える喜びと・・それに反する苦しみも十分味わされてきた・・しかし誰れ言うともなく誰一人仲間を批判することもなくこの年月を過ごせたことは・ロケット開発にとって賞賛されるべきである・・・
常に前向きに・・常に明るく・・常に新しい物を求める精神こそ大切なことである・・
私は「失敗は挫折ではない」と思う・・もしかするとチャレンジしている人たちの勲章かも知れない・・・たとえ今・つまずいても来るべき未来には必ず必要になるスッテプかも知れない・・今はそう信じて進むべき道を見いだすべく・・・
宇宙科学研究所は今世界から「世界一の研究所」と言われている・・・何故・・・
それは日本に「糸川英夫」という人が居たからだ・・・本年は糸川先生生誕百年・・・そして糸川先生の求めたものは「戦中を生きた」人たちだけに理解できる・・科学を通じて自由とともに明るい社会で生活していける毎日だったのではないか?
・・・今にして思うに想像にするだけであるが・・・
2012・2・8
林 紀 幸
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映像的にこだわっているのはわかるのですが
事実を知っている人が映像を見ると差異が気になってしまいますね
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